仲直りを考察 その1

2018年02月27日

自分と向き合うという大変な挑戦・・・それも仲直り

仲直りという言葉から連想されるのは、喧嘩、対立、友達、夫婦、兄弟姉妹、約束の反故、ルール違反、等から生じた良くない状況から始まり、時を経て、いずれか一方(または双方の)の当事者の努力が実れば、双方の歩み寄りや、許しあい、雪解けムード、相互の受け入れ、などと春の来訪を思い浮かべます。

例えば学校時代に親しかった友人と、飲みに行ったら、過去の失敗をほじくり返され、ムッとした貴方は独りで店を出て、帰ってしまい、その日の夜は寝付けずに悶々として、謝罪の電話も待っているのに、何も言ってこない・・・ますます貴方は相手に対する不信感を募らせ、次に会ったら何と言ってやろうか!と怒りは収まらず・・・・ところが翌日、家に帰ると”今度は河岸を変えて飲むか!”と書かれた小さな手紙と、ビール券が送られてきたりすると、貴方の怒りはスッカリ収まり直ぐにでも相手に「サンキューまたな!」なんてメッセージを送ったりできるでしょう。

一方で、3人兄弟の例を考えてみましょう。長男、長女、次男と2人の息子と娘を持った夫婦も互いに年を取り、お父さんも80を遠い昔に超えて、いつ逝ってもおかしくない年齢です。そして遂にその日はやって来ます。お父さんは事業で財を成しましたが、遺言書は残していなかった・・・正月にも来なくなっていた次男も葬式には来ますね。そして葬儀も終わり、家族で卓を囲んで「これからのこと」を話し始めます。「これからのこと」とは残った母親のことも含みますが、仕事が上手く行っていない次男からすると自分は「一体いくらもらえるんだ?」という一点に意識は集中します。

滅多に家にも帰って来なかった次男に対して長男も長女も良い顔をしていません。「お母さんも病院通いが大変だったよね」から始まり「兄さんも最後は仕事を休んで看病したから、お父さんも喜んでいたわよ」と続き、最後には「あんたも看取り位には来れなかったの?」と揶揄されるのです。

次男は多分ですが・・・悪かったと思っているのです。(そう思いたい)でもここ数年は仕事が上手く行かずに、できれば親父から少しでも援助して欲しいと思った・・・でも兄や姉の存在もあって実家にも足が向かない・・・病気だと連絡を受けても、なんとなく実家へ行けない・・・一方で妻からは「お父さんに頼んでみれば良いのに、親子じゃないの」と言われて、頭が痛いのです。

そんなことを考えながら葬儀に来た・・・そしてこの機会に少しでも多くを頂いて仕事を立て直したい・・・偽らざる心境でしょう。 兄も姉も家庭、仕事と順調でお金に困っている訳ではない・・・なんで自分だけ、上手く行かないんだろう・・・兄も姉も自分と妻をなじるような目つきです。

こうした状況は各地で今日も明日も、これからズーッと見られる光景だと思うのです。そして結局は、この次男は『自分と向き合わざるを得ない』という状況になるのではないか!

ちょっと視点を変えますが、多くの対立や葛藤、喧嘩や不仲には当事者の物語りがあり、双方が相手の「主張」を聞かされることはあっても「物語り」を聴く機会は、なかなか無いのではないか? というのが私の想いです。

主張は互いにするのですが、物語りやストーリーというコミュニケーションを用いれば、双方は理解が進みやすいのです。話は大きくなりますが国際紛争も同じです。パレスチナとイスラエルの対立には長い歴史があり、紀元前からのストーリーの積み重ねが今の現状の基盤となっていますが、そうしたストーリーに耳を傾けさせ合う支援が不可欠でしょう。

そして相手に物語りを語ろうとする時、それと同時に自分との対話や自分を直視する取り組みを避けて通ることは不可能です。先ほどの次男の『自分と向き合わざるを得ない』という状況に直面します。 自分にとって気に沿わぬ相手の行動や言葉が受け入れられないから、双方が対立するのですが、相手の取った行動や言葉の受け取り方は自分に責任があります。仮に自分は悪くなかった、としても色々と考えるうちに、結局は自分と直面するという壁に当たってしまうのです。これほど嫌なことはありません。だから仲直りという前に、これらの面倒で厄介な行程が脳裏に直ぐに浮かぶから「仲直りなんて無理!」ということになるのです。

そして、次男のケースであれば、次男本人が自分が悪かったな、と頭では分かっていても、それを相手に対して認めたり、ましてや謝罪するとなると、そのエネルギーや忍耐力は途方もなく大きなものとなり、多くの人には謝罪や仲直りが果てしなく縁遠いものに思えることでしょう。

でも一歩、踏み出して考えると、謝罪や仲直りを相手に対して自発的に仕かけることほど自分を成長させるものは無いでしょう。自分の非を認め、自分の行動を反省し、相手に在るかもしれない非や擦れ違いを腹に収めて頭を下げる・・・これほど自己成長を促す行為が他にあるでしょうか。これほど人としての器量を大きくする挑戦があるでしょうか。

と、ここまで書いて、そうだけれども、やっぱり難しい、と自答する私です。でも、でもですよ、もし相手に対して本気で謝ったら相手は自分を更に詰るでしょうか? (なじるでしょうか?) 

いいえ、そんなことは無いでしょう。無いと信じたいですね。 勇気ある貴方を相手も神様も許すだろうというのが私の想いですが、希望的観測でしょうか。

これまでの人生を振り返ると多くの人と仲違いをし、できればまた一緒に飲みたいな、食事をしたいな、遊びたいな・・・と思いながらも多くの人は、実際に仲直りすることはなく、いつしか、そんな人が居たことさえ忘れて、人生の幕を閉じるのでしょう。

ただ、家族、特に夫婦、兄弟姉妹、親しかい友人や仲間、こうした人々とは出来れば仲直りを成し遂げたいなと思うこの頃です。

自分と向き合うという途方もない挑戦を乗り越えて。


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仲直りを支援するという仕事はアメリカでは増えていますが、今後の高齢社会の日本でも争族問題や同族企業内の融和には不可欠な専門職になりそうです。行政書士や司法書士の方もご存知のADRを実のあるものにするという視点からもお勧めしています。他にも高齢者施設の方で入居者の方と、息子さんや娘さんが疎遠だというご心配をお持ちの方にも、解決の方法や糸口が見える講座内容です。Facebookページからご覧ください。

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 2018年3月10日の土曜日、10時から終日、中野駅近くで開催します。