長年の父との不仲が無くなった方のお話し
あれは、もう5年も前の事です。或る日、女性から電話が掛かって来ました。
聴けば、8年ほど前から往来が途絶えたお父さんと、何とか撚りを戻したいといご相談でした。
耳を傾けると、その女性、ココでは仮名、成田さんとしておきますが、彼女はお母さんが10年ほど前に亡くなってから、お父さんとの仲が険悪になったと言います。
お父さんは、テレビで良く見る、ある建築会社の建物の設計師として働き、それなりの成功を治められたという事でした。
そしてお母さんが亡くなられて、その後に、娘である成田さんに形見として、それまでに見たことも無かった絵皿を渡しながら、次のように仰いました「これは母さんの大事なお皿だ。結婚して行った旅行先の九州の有田で買ったものだよ。それなりの価値があると知って、結構な額を払った。実は今、お金が足りずに困っているんだ。この皿は売れば100万で買う人が居るが、手放したくない。だから、これで50万を父さんに貸してくれないか」という話だったそうです。
お嬢さんの成田さんは、お父さんを窮状から救わなければと思い、直ぐに50万を用意してお父さんに渡すと、引き換えに「これは御前に預ける」と言って、帰って行かれたと言います。
さて成田さんは、このことをご主人である夫には黙っておこうと思いましたが、きっと良いことをしたね、と褒められると思い、ご主人に話されたそうです。
その時は何も仰らなかったご主人ですが、後で、そのお皿を鑑定に出していたことが分かりました。そしてご主人曰く、「これは価値は無いよ。精々、5000円か1万で手に入れたものだろうということだよ」
この言葉に最初は、自分の父を信じていなかったご主人に少しガッカリしましたが、翌朝になると、その恨みはお父さんに向けられ、そのままお父さんと連絡を取ることは無くなったそうです。
元々、成田さんはお母さん子で、仕事ばかりのお父さんとは疎遠だったと言います。それに輪を掛けるように、そのお皿の問題が現れてから、お父さんに対する憎悪というか、憎しみに変わって行ったそうです。
さて、そんなことが有って、お父さんとの往来が無かった成田さんですが、男の子が一人いらして、私の処に相談にいらした当時、お子さんは27歳でした。
息子さんはお母さんが、お爺さんと仲が途絶えても、それについては何も言わずに過ごしていたそうですが、1年ほど前に、「お爺ちゃんは長く生きられないかもしれないよ」と成田さんに、ふと漏らした言葉に驚きました。「なんでそんなこと言うの?」と言い返す成田さんに息子さんは「先週、御飯食べた時に、そう言ってたよ」と白状しました。
あとで分かったのですが、娘である成田さんが、怒っているという話を孫から聴いたお父さんは、「そうか、あの子にもすまないことした」と言って、「いつか謝らないとな」と孫の英樹君に言ったそうです。
それを聞いた成田さんは、あの皿は何処へ行ったんだろうと探してみると押入れの奥にしまい込まれていて、久しぶりにその皿を見ていると、英樹君は「あの皿は本当は200万したんだよ、ってお爺ちゃんは言ってたよ」と言います。
成田さんは、そんなことはどうでも良くなっていました。そしてお父さんに会ってお詫びしたいという気持ちが大きくなっていました。
そんな時でした、成田さんが私のカウンセリングを受けに来られたのは。
聞いてみると、自分もお父さんに会いたいが、会わせる顔が無い、と仰いました。
でも息子である英樹君は、時々あっては食事をすることもあるという事が分かりました。
そこで息子さんをお父さんと繋がる手立てとして、活躍してもらうという方法を伝えました。
先ず息子さんを通して、食事にお父さんを誘う、そして食事を2~3回、したところで成田さんからお父さんに健康のことを聞く、そして出来れば入院へ誘う、という段取りを一緒に考えました。
息子さんを通して、成田さんはお父さんに、いついつ会いに行くからと連絡しました。
さて、お父さんの住む町は日暮里だと言います。
そこで、小田急線沿いに住む成田さんは、会う予定の時間より3時間ほど早くに上野駅に着いてもらい、アメ横を散策してもらうことになりました。
当日は私も、彼女の時間に合わせて、電話で待ち受けています。
すると午後3時過ぎに電話が有りました。
「私、やっぱり行けそうも有りません。今日は一旦、帰ります」という言葉を聞いて私は返しました。「今日行くんですよ。お父さんは貴方に会いたくて会いたくてお待ちですよ」
彼女は「会ってくれますかね」と不安そうな声です。
「大丈夫ですよ。きっと大丈夫、お父さんは大喜びするに違いありませんよ」
と言って背中を押しました。
無言が続いた後、ようやく「分かりました。行ってみます。ダメ元ですから」と言って電話が切れました。
その後、午後8時前に電話が掛かって来ました。「父と話が出来ました」と言って後が続きません。「それで?」と聞きました。
「はい、またお出でと言ってくれました」その後は涙声で話しが出来ない状況でした。
「おめでとうございます。また落ち着いたら連絡を下さい」というと電話は切れました。
それから二日後に、彼女から電話が有りました。
「本当に良かったです。上野のアメ横で待っているとき、不安で不安で、溜りませんでした」
「本当におめでとうございます。お父さんの容態はどうですか?」と私が聞くと「はい、息子から聴いたときはビックリしましたが、病院の先生からは、まだ治療すれば数年は生きられそうだと言われたそうです」と明るい声が返って来ました。
私と成田さんとのカウンセリングは、ココで終わりました。
その後、お手紙で、「父と撚りを戻せて本当に幸せです。良かったです」という葉書が届きました。